パソコンが調子悪い!とか、、、あれこれ言って締切をジャンプしよう、なんて1ミリも思っていませんよ。ええ。ただ、あるパンを魚のスープと一緒に食べて、その組合せが生み出した味にちょっとばかり驚いて、その余韻にひたっていたかったわけで。そのまま食べると荒々しいような、個性的な小麦を酸味とうまみに昇華したカンパーニュタイプのパンなのだけれども、スケソウダラのサフランスープという魚介のアミノ酸成分に出会ったとたん、君は本当はそんなに美人だったんだ!と言いたくなるぐらい、艶やかな表情を見せる。水分を多く含んで焼かれた柔らかい内層が、スープをさらにたっぷりと吸い込んでビシャっと音を立て、まるで高性能のスポンジのように、組織が崩れることもダマになることもなく、クリスピーな外皮とともに心地よく口に入ってくる。
ああ、まったくパンというのは奥が深いと、今回はここに書いてしまいたくてたまらないのですよ。
パンは料理とともにあるもの。コーヒーも料理や菓子とともにあるもの。ベーカリーやコーヒー専門店のように単一カテゴリのビジネスを見ていると、時々その前提がわからなくなってくる。パンばかりをたくさん食べたり、コーヒーばかりをたくさん飲んだり、そんなことは普通のお客は、まずしない。編集者は決して普通のお客じゃないけれど(お客の代表と主張するのは大きな間違い)、普通はどうか?と自分に問いかける冷静さはつねに持っていないといけない、と思います。
パンの工程について、ここでは詳細を省くけど、発酵と焼成(焼く)によってアミノ酸が生成されて、パンにうまみが出る。このアミノ酸がおいしいと思う人が多い一方で、それを邪魔と思うパン屋さんもいる。
365日の杉窪章匡さん。パティシエ出身のパン屋さん
蛸のサンダル by Akimasa Sugikubo
こちらのお方。東京・代々木八幡にある人気ベーカリー「365日」オーナーシェフの杉窪章匡さん。いま、恒例の蛸のサンダルのイラストを描いているところ。
杉窪さんのイラスト。強面イメージのシェフを自認するのに、ハートのついた足。意外とお茶目さんで情熱的な熱い男。
杉窪さんがおっしゃるにはパンにはアミノ酸ではなくて小麦のフレッシュな香りを求めているのだそう。パン屋さんは小麦の香りは大事にするものだが、とくに繊細なちがいを表現しようとする場合に、アミノ酸の香りが勝ってしまうと困るらしい。この方はもともとパティシエで、フランス料理も手がけ、フランスでシェフもされていた。当然、パンと料理と組合わせるすぐれた味覚をもっているが、冒頭の別の人のパンとは真逆の方向に行こうとしているから、まったく面白い。いまほどパンに「自由」が訪れている時代もないと、つくづく思う。時代が流れ、技術は進化して、過去の技法の真意が理解されていくと、パンもきっと変わってくるに違いない。変わらない自由もあるが、変わる自由もある。
カフェファソンの岡内さん、つねにハンチング帽スタイル
蛸のサンダル by Kenji Okauchi
その杉窪さんは、いまコーヒー焙煎に凝っていて、師と仰いでいるのが第1回にお邪魔した代官山「カフェ ファソン」の岡内賢治さん。
岡内さんの蛸のイラスト。蛸なのか、風船なのか、、、。かなり斬新なフォルム。
岡内さんは相槌の名人。ドラマに登場する珈琲店のマスターのイメージそのままに、お客の話を上手に促し、心をほぐして帰らせる。「いいですねえ」とのんびりうなずくマジックにはまるお客さん続出なのだが、コーヒー焙煎は神経を研ぎ澄ませた精緻で繊細な技術によってコントロールしている。レストランやケーキ店、ベーカリーなどにもコーヒー豆を卸しているが、各店の味に合った焙煎とブレンドをほどこしている。
ある時、岡内さんを某ベーカリー(上記の2店ではない)に紹介した。オーナーシェフのリクエストで、オリジナルのコーヒー豆がほしいということだった。岡内さんは、少し遠いその店を訪ねてパンを買い込み、うーむとしばらくうなっていた。名物にライ麦のパンがあったからだ。ライ麦の酸味に合うコーヒー、確かに難しそうであります。
わたしはちょうどその年のベーカリー専門誌「ベーカリーブック」の編集を終えていたばかりで、パンを山のように食べていたから、飽きないように食べる工夫を求めていた。ライ麦パンにはフキノトウ味噌が合う、というのを発見し、数名のパン屋さんに話したところ、「あ、そうなんですよね~、味噌が合います」と一様に答えが返ってくる。(みなさん、試していらっしゃるのね?)と思い、その話を岡内さんにしたら「いやあ、ヒントになりました!」と言って、ぴたりと照準のあったブレンドをつくり上げた。さすが職人技。
味噌は発酵食品で、大豆、米、麦などを麹で発酵させた豊かな味わいは、やはりアミノ酸によるもの。キーワードはまたしてもアミノ酸か・・・と思っていたら、いつもの彼から電話があった。アミノ酸に呼ばれたのか?
わたしは、冒頭のスケソウダラのスープとパンの組合せが絶品だった話をする。負けず嫌いの彼は「おれなんかもっと面白いことしたぞ」。同じベーカリーのパンに、醤油をぬったり、海苔の佃煮をのせたり、肉じゃがの玉ねぎと牛肉、人参をのせてみた結果、「あいつのパンは、ごはんだ」との結論に達したという。
料理のパートナーと見るか主食(=ごはん)と見るかはともかくとして、パン自体に求めるかパンに添えるかもともかくとして、パンにはアミノ酸。アミノ酸は発酵、熟成、分解によって得られる。あれこれ考えても最後はいつも、食事の基本形に立ち返るのでした。
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